『ユルスナールの靴』須賀敦子
(新書/伝記+エッセイ)
オタク視点です。
「と、作家の足元にひれふし、靴から作家の本質へと、徐々に視点を上げていく。どちらも女性なのですごく……奥ゆかしく、文学的な、……でも背徳的な……、時空を越えた、百合として読める……のだー……。」
って桜庭一樹が読書日記で言ってました。
そんな殺し文句を言われちゃ読まないわけにはいかないじゃないか……。百合「として読める」一般文芸とか、どうしようもないよね。一発で陥落です。
結論。
百……合?w
どちらかというと夭折した幼馴染シスターの方が……(笑)。聖栞とまではいきませんがうまくいかないとわかりきっている切なさ淡さがさ。両方とも了解した上での感情で行動だから別離もあっさりするし乾いている。そして回想が幾重にもなって甘さを差し込んでいる感じでしょうか。このふたりを百合「として読む」ならw
どこかから怒られそうなので先に謝っておきます、すみませんw完全に妄想解釈です。女学校での小ネタあれこれが楽しかったんです。
あ、肝心のユルスナールは、伝記として普通に面白かったです。
シーンとしては幻想の牢獄が好み。ピラネージという銅版画家の話なのでまたユルスナールからは若干ずれるのですが、夫妻のやりとり自体も中々愉快でした。
「そこでは、人間のあらゆる欲望が、反復されるアーチや階段や拷問具によって、いちどは解放されながら、たちまち抑圧される――」
その結果のたましいの矛盾はどうでもいいですが(笑)。こういう話は……マリみてでは精神世界に飛ばさないと難しいですが素敵な解釈ですよねwもしかしたら精神世界だからこそ映えるモチーフかもなあ。
一応名作古典の部類なので注釈つけつつ単独で。桜庭一樹といえば、『ファミリーポートレイト』の百合シーンが大変自分的に素敵でした。つまり百合としてのおすすめはできませんが退廃感や泥沼感が半端なく迫ってきて……な話をまた今度したいと思いますw自己満足ー。